日々これ上々

なにげない毎日のささやかな事件?を記録します。

年月を経て変わったこと

連投しております。
というのも、仕事がここ1週間こない・・・。
干されてる??心配・・・。

というわけで、今のうちに残しておきたかったことを書いてしまおう!!
もっと前に書きたかったのですが、
いつのまにやら月日は過ぎて、もう9月になってしまいました。

まず、我が子、ちょっと神経質なところがあります。

幼稚園の年少さんの時には、幼稚園のおもちゃについているザラザラが嫌いだったり、
トイレが汚くて入れなかったり。
トイレに入れないからプールにも入れず。
園内放送などの大きな音も苦手で、
幼稚園では避難訓練のリハーサルを我が子の為に2度もして下さいました(いい幼稚園でした。。。)。

年中さんになってからは、「幼稚園の床が汚くて嫌」と言い出しました。
トイレも幼稚園が終わるまで絶対行かないというなんとも心配な状況。
年中さんの時は登園拒否児だったのもあって、精神的なものからくるのか悩みました。
電車などの座席も隅っこの席はゴミがたまりやすいからと座りませんでしたし、
真ん中の席でちょっとした糸くずなどがあっても絶対に座らないという徹底ぶり。
年長さんでもその状況は続き、靴を履く時もマジックテープがぴったりくっつかないと気が済まない。
で、何度もやり直して、いつも足元を気にしている感じで、見ている方が辛いというか。
靴下も無地のもの(裏に模様の糸が出ていないもの)しか履けませんでした。

結局小学生になっても、
「教室の床が汚いのが嫌」「トイレに上靴で入りたくない。上靴の裏が汚れる。」「靴のマジックテープはきっちり」「電車の座席は苦手」は
残っていました。
ある時、同じクラスの女の子が教室の床に落ちていた粘土を踏んで、
それが上靴の裏の溝についたままになっていたようで、
「どうして平気なんだ」とビックリした話をしてくれました。
息子は上靴の裏に何か挟まると手で(!)取り出していました。
それこそ汚いと思うのですが、
そこは気にならないらしい。

幼稚園の時も小学校に入ってからも「幼稚園(学校)行きたくない」と言う時は、
必ず「床が汚いのが嫌」と言っていましたし、
私は「そんなもんでしょ」と思ってはいましたが、
最後の方は「〇ちゃんの『床』問題ねー。でも皆で使っているからしょうがないんだよ・・・。」と
親子で共通認識『床問題』となっておりました。

ちなみに、私自身はそうとう適当な性格でそんなに神経質に育ててないです。
赤ちゃんの時は「6か月までに色々なめさせて。それまでしか出来ない免疫があるから。」と言われたので、
結構適当に色々なめさせてたし。消毒なんかもかなり適当なお母さんでした。

あの頃は「ストレスからくる精神的なものなのか?」と「発達の問題なのか??」と心配していたのですが、
小学2年生から3年生にかけて、私が見ていて気になる状況はなくなりました。
本当にスッとなくなりました。本人もなんでそんなに気にしていたか分からないようです。
まだちょっと電車の座席は気にしていますが、まあ、許容範囲。

他の変化と言えば、
自分のことをお友達の前で「僕」と呼ぶようになったこと。
息子によれば2年生の途中から自分のことを「〇ちゃん」と呼ぶのが恥ずかしくなったそうです。
2年生の1学期の面談で担任の先生に
「周りの状況を考えず、自分のやりたい事を推し進めてしまうところがある。」と相談した時に、
「息子さんはまだ自分の事を「〇ちゃん」と呼んでいる。
それは他人から見た自分を意識してないということで、ちょうどこれから成長する部分だ」
ということを言われました。

バイオリンでも、発表会では緊張するようになったり、
その変化は2年生から3年生に上がる間に起きたように思います。

崎尾 英子著「子どもを支える言葉ー立ちすくむ家族へー」という本、
息子が登園拒否気味の時に読んだ本です。
もう亡くなってしまった方なのですが、
元国立小児病院精神科医長で、
ラジオの子育て相談もされていたそうで、
その相談を受けた事例をまとめた本です。

その中で(今お友達に貸し出し中で正確な文章を載せれませんが)、
「小学1年生(だったと思う)の娘さんが先生の目を見て話さない。
『ちゃんとお話を聞いているかな?感じ悪いな。』と母は感じていて、
どうすればよいか」という様な相談事例があったのですが、

「あなたも経験がおありだと思うけれど、大人の目を見て話すというのは、
まだちょっと怖いことだと思うの。
学校にも、毎日とても緊張しながら通っていると思います。
小学1・2年生というのは、とても脆い脆い時代です。
毎日ちゃんと学校に行き、それを褒められることなく、出来ていないことだけ指摘されてしまうと、
今まさに伸びようとしている社会へ向かう芽が伸びることが出来なくなってしまいます。」
という様な文章がありました。

私には「脆い脆い時代です」という言葉がとても印象に残っているのですが、
息子が3年生になった今、
「なんだか分かる!!」という気がするのです。

「少年は手を離して、目を離すな」

と良く言いますが、手を離すのは母ではなく、子供の方なのかもなしれません。
「できるかな?大丈夫かな?」と思いながら、初めての社会に出ていく準備をしているというか。
だから、「今の状態で充分だし、とっても頑張ってるねー」と言ってあげると、
上手く手を離せるものなのではないのかなーと思います。

幼児期は、生きているの息子そのものがそこにあって、
なんやかんやと難しいところはありましたが、
喜怒哀楽のすべてが素直で正直で、物凄く尊い時期だったなーと。
今でもキラキラとした笑顔を思い出すことが出来ます。
もう一度、会いたいなー。
もちろん、今もニコニコ可愛いですが、
ほんのちょっと、笑顔のニュアンスが違っている気がするんです。
母にはもう届かない場所があるというか。
すこしずつ自分の社会を持ち、母を離れていくんでしょうね。

母は嬉しいような寂しいような複雑な気持ちですが、とはいえ、
まだまだ甘えん坊だし、今が一番小さい。
息子の今をしっかり堪能しようと思います。