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日々これ上々

なにげない毎日のささやかな事件?を記録します。

三陸に行ってきました③

今日は東京は快晴です。
仕事が早めに終わったので、今日はずっと放置していた三陸最終話を。

前回の続きから。

気仙沼に1泊し、次の日は陸前高田へ。
陸前高田に向かう間も入江という入江が被害に遭っていて、
下ってるなあと思うと必ず、何にもない雑草だらけの土地があらわれるといった感じ。
鉄道もトンネルが崩れたり、線路が流されたり。
因みに地元の方は、鉄道の復旧を!と言っているそうですが、
自治体はバスの運行に切り替えようとしているそうです。
友達の情報によると松島までの鉄道は動いていたそうです。観光地ですもんね。
でもそれから北は線路がまともに残っている部分なんてありませんでした。
線路自体が海に近く、とにかくトンネルが多い。
そして、そのトンネルのことごとくが壊れている。
復旧するには相当な費用と労力が必要だし、もし、街を高台に作るとしたら、
線路自体もルートを変えなければいけないでしょう。
そうするとトンネルをいちから掘らなければならないですもん。
仙台からはたくさんバスが出てましたよ。

陸前高田と言えば、高田松原の中で1本だけ残った「1本松」が話題になりましたね。
ご存知の通り、塩分過多で枯れてしまい、保存するかどうかでもめていましたが、
結局、一度カットして、人工的な処理を施し、震災を忘れない為にモニュメントとして残すということになりました。
私達が行った時は、偶然にもカットする直前で、枯れてはいるものの、本物の松を見ることができました。




震災に遭ってない私が思うことなのですが、
これを残すのであれば、松ぼっくりをまた育てて、
また松原を作った方がよっぽど励みになるのではないかということ。
募金によって資金を集めるそうですが、
他の事に使う方がよっぽど住んでいる人の為になる気がします。
松の葉は偽物で作るそうだし、なんだかなあ。

陸前高田は本当に見渡す限り何もなくて、今まで見てきた町の中で
一番観光以外の人に会いませんでした。
「ここを離れるものか。もう家たてちゃったよ。」みたいな綺麗な家も全くなく、
置き去りにされた感じ。
初めに撮ろうと決めた「頑張ろう」の看板なども皆無でした。
確かに、何もないから、多分生活できない。
皆さん、あちこちに避難したままなのでしょうね。
街機能は少し先の山の中腹に移動したようです。





上の写真の手前の山は瓦礫の山に雑草が生えたもの。
雑草に覆われた山があちらこちらでみうけられました。

1泊2日だけ訪れた三陸でしたが、
ここで育った人がこの土地が好きで、そして、海と共に生活があるというのが
来る前よりもすとんと理解できた気がします。
しかも、片付け自体は結構なスピードで進んでいて、
不景気不景気とはいいつつも「やるね日本!」ということもわかった。
気仙沼での食事中、後ろに座った気仙沼出身の津波に遭遇した方が
「なるようにしかならないからね」と前向きにおっしゃっていたように、
多分福島以外はイチから街の立て直しへ向かって、あとは前進のみ。

が、福島はね、住めない気がするんだよね。
それだったら、早くその方向で動いた方がいいのではというのが私の意見です。
汚染されたものを福島に集めるのが一番いいのではないかと。
もちろん故郷がなくなるのは悲しいけど、
汚染された環境で農業や漁業が発展するとは思えないし、
将来子供達に影響が出てもいいの?というところです。
汚染除去に使うお金を、新しい土地への生活基盤づくりに使った方がいいと思うのです。
皆さんはどう思いますか?


因みにこの陸前高田の後、西へ移動し奥州平泉に行ってきました。
平泉は「仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」の一つとして世界遺産に登録されています。
一番印象に残ったのは、庭に興味がある私としては、毛越寺かな。
実は造園施工管理技士の試験にも出てくる「毛越寺」は極楽浄土の世界を再現しようとした
「浄土庭園」です。
暗記はしていたけど、実際に見ると圧巻!
とにかく全てが大きい。迫力ありましたよ。
この池にながーい朱色の橋がかかっていて、その先に御殿があったようです。




毛越寺 庭園


中尊寺 金色堂はその建物の中で撮影禁止なり
中尊寺金色堂の中には結構な数の仏様がおりました。
私は詳しくないので、ぼんやりと観ておりましたが、今まで見た中では仏様がすごい密度で並んでいて、しかも表情も豊かで「上等」という感じがしましたよ(稚拙な感想ですみません)。
金色堂奥州藤原氏初代藤原清衡天治元年(1124年)に建立したものだそうで、
遺体もこの中に納められているそうです。

そんなわけで、短い東北の旅でしたが、
楽しい旅!という風にはいきませんでしたが、でも、行って良かったなと思いました。
これからも、震災の事は忘れないように、
出来ることはしないとね。