日々これ上々

なにげない毎日のささやかな事件?を記録します。

息子の「学校いくのは時間の無駄だ」について考察?

夏休みが楽し過ぎたのか、息子が2学期初日から「学校休みたい。始業式に何の意味が。◯◯式って、4月の始業式と卒業式と入学式だけでいい。授業もないんだから、1日を費やす意味がない。」
2日目からは「算数が特に面倒。簡単すぎる。時間の無駄。せめてもう少し難しくしてほしい。」と言っています。

それで、すいっと私から出てきた言葉は、

「少しは我慢せよ!」

でした。

いやー、わからん。わからないー。何が正解なのかいなー。

息子は私よりだいぶ理系的な理解力はあると思います。理解のスピードも早い。
得意な部分のバランスはどうかと思う部分もありますが(漢字は本当に覚えてないし、作文なんかはかなり苦手な子)。
そう思う理由は色々あるのですが、例えば、
先日「これからの勉強はどうしたものか」と考えながら私がZ会算数9月号をパラパラみていると、息子が寄ってきて、2学期に習う速さの単元の問題をちらり。
「かみなりが光ってから10秒後にかみなりの音が聞こえました。かみなりは何mはなれたところでなりましたか。ただし、音が空気中を伝わる速さは秒速340mとし、かみなりは光ると同時にみえたたものとします。」
この問題を読んだ瞬間、「この問題簡単すぎるだろ。光の速さは速すぎるから無視するんだろうね。光の速さは秒速299,792,458mだから〜」
確かに、問題文は大そうな雰囲気なのですが、その割にとても簡単な問題です。でもさ、ちょっと考える時間が必要じゃありません?
私だったら一度読み直して「えーっと光と音だから〜」と確認したい。私の頭が悪いのかもしれないけど、ものすごく悪いかというと、まあ、普通だと思うんですよ。
私、大人だし。
でも、息子の場合、このくらいだと読み終わった瞬間に答えが出る、そんな感じなんです。
速さの単元、まだ習ってないけど、そこら辺は常識的に頭に入っていて、
光よりも音の速度が遅いということも知っていて、最後の条件文が光の速度を無視するためのものっていうのもぴんとくるようです。
これから授業でこの単元を習うとすると、どこから開始するんだろうと思えば、確かにねえとは思う。昔、円を分母と分子に分けて”は・じ・き”と板書していた先生のことを今でも私は覚えています。
しかも息子は「こーなったら、こうなるはずじゃない?逆にこうだったらどうなるの?」みたいな思考が溢れいているタイプなので、特に得意とする理科の場合、学校で疑問に思ったら素早く先生に質問するようですが、先生もそこまで準備してないだろうなーと思う内容だったり、そっちから来るか〜みたいな質問だったりして、ユーモアとともに流されたり、検討違いな答えが返ってくるようで、5年生になったばかりの頃は残念そうに私にそのことを教えてくれました。そして、今では先生に聞いてもしょうがないかもなというようなそんな気持ちを抱いている気が。
というわけで、学校は、まあ、退屈なんだろうと思います。

最近は、世の中の論調としては、「辛いのであれば休ませてあげてもいいのでは。」「学校だけが居場所じゃないよ。」という感じですよね。
もちろん、そうでないと辛い子もいると思うので全否定するつもりはありませんが、うちの息子の場合どうなんだ?と思うのです。
授業が息子にとって退屈で辛い時間なのだと言われるとうーん、、、、
昔から、優秀層は一定数いたし、心で文句言いながらかもしれないけれども、別に普通に学校来てたよね。
成績は私より夫の方が良かっただろうと、「退屈だったけど、別に苦痛ってほどでもなかったよね?」と聞いてみると、「うーん、まあ、内職したりね。休み時間が楽しかったし。」という感じ。
まあ、うちの子は休み時間を楽しみにしてはいないので、なんともそこも悩ましいのですが、
世の論調やそれによって私が「どうしたものか」と考えている空気、その空気をうまく汲み取っている感じもしなくはない。
テレビで「行かない」という選択もありだという話なんかも聞いてますしね。
息子は「行きたくない」と言っているけど、とどのつまりは、ただ自分が退屈したくないと言っているのかなと思うんですよね。
とにかく退屈が嫌い。
今までは、それは息子の特性なのかなと思っていたのですが(多少はあると思いますが)、ふと思えば、今の時代、子供が退屈しないように、小さい頃から育ててきてしまっている面もあったり、
我が家は一人っ子なので、息子が求めればよく相手をしてあげている面もありますし、待つことに慣れていないのかもしれないなあと。
が、社会に出れば、色々な人がいて、一緒に社会を作っていくわけです。
息子は勉強という面では、多少ボコボコしてはいるけど、基本的には恵まれた資質を持っているし、環境も恵まれている。
だから、ちょっと贅沢病的な部分もあるかもしれないなと。
退屈だからって文句をいうのではなく、そこのところをしっかりと自覚し、周りの人の状況をしっかりと考えて、他人を待ってあげたり合わせてあげるという心のゆとりも必要なんじゃないかな。

なんて考えていたら、こんな本が目につき、河合隼雄先生のファンの私は購入してしまいました。
www.kinokuniya.co.jp
著名人の子どもの頃の話が書いてあるのですが、なんと不登校になった人が沢山いる!!
それはそれで面白いなーと思ってしまい、「うーん??」みたいな気持ちにもなってきて、いやはや、やっぱりよく分からないなーというところで着地。
今のところ、息子はまだ学校には行っているし、深刻という感じではないけれど、日常的に学校行きたくないと言われると、色々と考えてしまいますね。
いいところもいっぱいある子だし、発想が私と全然違っているので、そこをどう扱って良いのか、一筋縄ではいかない感がありましたが、
これからは、多少我慢や待つことも知らねばねと思ったり、親が思う「人としての心得」も少しずつ教えていかねばならないのかもなと思ったりもしています。