日々これ上々

なにげない毎日のささやかな事件?を記録します。

Z会はやっぱりいい&そうそうそう思う

急に寒くなりましたねー。
今日も将棋をやっていたい息子、ぶーぶー言いながら野球の練習に行っています。

前回のブログで、息子が中学受験の勉強の量が多くて、考えない様になっている。
Z会の動画でも「これはちょっと難しいかもしれないので、まずは解き方を覚えましょう」的なことを言っていたり。”
Z会の愚痴を少し書きました。
私としては難しくても、分からなくても伝えてくれたらいいのにと思っているので、
せっかく家で勉強しているのだから、そこら辺は端折らないで欲しいのです。
ところがです。最近「さすがZ会」と思うことが。
今息子、Z会で分数の割り算を勉強しています。
私が小学校で習ったのは、割る数の分母と分子を入れ替えて、
割られる数にかけるという方法。
これを習った時、まず「どうしてさ!」と腑に落ちなかった人も多いのではないでしょうか?
私も「なんでー」と思ったものの、考えても分からなかったので、
そのまま、言われたとおりに計算しながら今まで生きてきました。
なので、息子に教えるにあたりどうしようかなとふんわり思っていたのですが、
Z会はちゃんと説明してくれていた!!!
もしかしたら、何も考えずに、分数の割り算を解き続けて来たのは少数派かもしれませんが、
一応私と同じタイプの方の為に説明すると、
例えば、20÷5について考えます。答えは4ですね。
この時、割られる数と割る数に同じ数を掛けても答えは変わりません。
どちらにも3をかけてみると、60÷15=4です。
これを利用して、1/5÷2/3を解く場合。
割られる数と割る数に同じ数をかけて、分かり易い式に出来ないか?と考えるそうです。
割る数を簡単にするにはどうすればよいか。
割る数を”1”にすればよいではないか。
”1”にするにはどうするか。
2/3の逆数を掛ければいいではないか。
というわけで、(1/5×3/2)÷(2/3×3/2)=3/10÷1=3/10
要は÷1を省略した形が私たちが小学校で習ったものだったのです。
そうだったのかー。
実は分数の掛け算もとても分かり易く説明して下さっていて、これぞZ会!!と私はうなりました。
私が小学生の時はこんな風には教えてもらってないなーという感じ。
いや、塾でも教えてもらっているのかもしれませんが、長年の忘れかけていた疑問に終止符を打ってくれて「Z会よ、有難う!」という気持ちになりました。
こういうことにじっくり取り組めるのは家庭学習の良いところだと思います。

話は変わって、高校に非常勤で勤め始めて1年足らずの私ですが、
☟をちょっと感じます。
news.yahoo.co.jp

ある程度の圧があった方が、生徒達にとっていい気がします。まあ、生徒のレベルにもよるのかもしれないですけどね。
「やりたい人はやりなさい。やりたくない人は成績は下がるけど、それで自分んがよいと思うなら、それでいいよ。」
だと、ちゃんとやる子はもちろんちゃんとやるんだけど、ちょっと怠けてしまう子にとっては、
頑張れることを頑張らなくなるというか。
好きじゃなくても世の中やらないといけないことはあるし、面倒でも頑張ればできるんだから、頑張らせる方向に引っ張るのが先生なんじゃないかなと感じています。
少なくとも高校生までは。
それにね、なんか生徒もそれを求めている気がするんですよ。よくわからないけど。そんな雰囲気がある。
調理実習でも、「これ苦手ー」とか「小学校の時から食べたことないー」とかいう子が結構な数いるし、
感想文に「自分は偏食で」って書いてる子が多いこと!!
はじめは「そっかー。じゃあ、自分のには入れないようにしたら?」とか言ってたのですが、なんかそれは違うよねーと心の中で自分の言葉に違和感。
なので、今回は
「もう小学生じゃないんだから、苦手でも食べてみて。食べてみたら美味しいかもしれないし、舌って育てるものだから、今回苦手と思っても、段々食べれるようになるものだよ。」って言い放った方が、生徒の顔がなぜか明るくなる気がする・・・。気のせいなのかな?
しかも、その発言を聞かされていた周りの子達が私がそういうことで、「そうだよ。食べなよ!」とスッキリした顔で言える。
今回「草(ハーブのこと)が臭すぎる。食べるの怖いー。セロリが嫌だー。」と言っていた生徒にそう言ったらちゃんと食べたみたいで、
「草は肉を焼く前は臭すぎて食べたくなかったけど、肉につけたらすごく美味しくなった。でも、セロリはスープを台無しにしていた。今回、セロリを初めて食べたが、やっぱり苦手だということが分かった。」と感想文に書いてありましたが(笑)、食べて良かったなと。
もう高校生だからというのもあるし、敏感なお子さんもいるとは思うので何もかもというわけではないけど、「苦手なものをあえて食べなくても良い」とするよりも「食べてみたら、いけるんじゃないの?」の方が可能性を広げる気がしています。食べ物だけではなくて。

自分の子育て、ちょっと甘やかしてしまっているかもなというところもあって、
もしかしたら、息子を軟弱にしている可能性があるなと。
生活面に関して、快適な状況を提供しすぎている気がするので、
息子を信じているからこそ、しっかりと生きていけるようにするための厳しさを私自身が身に付ける必要があるなーと感じたりしているところです。