小学校が始まり2週間目に入りました。
内弁慶な息子なので、始まりはいつもちょっと心配な母です。
でも、今のところ、クラスメイトの名前は憶えているみたいだし、帰ってきたときの顔が楽しそうで明るい雰囲気なので、
私は余計な事を根ほり葉ほり聞かないように気を付けております。
机が近いお友達と折り紙を教えあったり、
運動場へも遊びに行ったりしてるみたいですしね。
先日、なんと再び虫歯が出来(うちの子すでに大人の歯が下だけで4本生え変わっている為、歯間が詰まっているそうで、外からは見えない場所で虫歯が進行してました・・泣)、
歯医者に行ってまいりました。
で、再び歯科助手の方や歯医者さんとやんややんやとおしゃべりしていたわけです。
↓(前回の歯医者でのおしゃべり)
おしゃべりが達者で好奇心旺盛な息子。
歯科助手さんに「小学校でたくさんお友達がいるでしょ~。そんな感じがするよ。」
なんて言われていました。
が、実際はうちの子、そんなにお友達多くはない・・・。
「なんて返すだろう?」と耳を澄ませていると、
「お友達は2人いるよー。」と正直に答える息子。
すると『あれ、少ない』と思った歯科助手の方は
「うそうそ、もっといるでしょ」なんておっしゃる。
母としてはちょっとドキドキしつつも「そう思ってもらえるのね」と少し嬉しくなり、さらに耳を澄ませていると、
「じつは、〇ちゃん、なまえも すんでいるところも しらないおともだちがいるの。ずっとあってないのだけど。」
などと言い出し、ビックリする私・・・・!!
『芦屋にいた時のお友達のことか??』と私の頭の中でくるくると考えていると、
息子が説明をはじめ、私は『あ~、あの子のことか~』とシミジミ当時の苦しい気持ちを思い出し、子供のこころのひだに触れたというか、
息子にとってはとても大切な思い出なのだな~としんみりしてしまいました。
「あの子」とは、年中の終わりの方で、私と海へ行き、砂浜で砂遊びをしていたら、
「一緒に遊ぼう」と声をかけてくれた1つ上のお兄ちゃんの事でした。
年中の3学期、クラスになじめずにずっと「幼稚園に行きたくない、幼稚園辞めたい」と訴えていた息子。
先生も一生懸命やって下さってるから、とか色々考えて頑張って通わせていたけど、
今思えば、先生とも周りの子とも合っていなかったし、得たものってあったのだろうか?と疑問なので、あの1年は家でのんびりしても良かったかもな~なんて今では思ったりしている、苦い年中時代。
気晴らしに息子と二人で春の海へ行った時のことでした。
息子は、波打ち際ギリギリで
第1の堤防、第2の堤防、第3の堤防を作って、第3の堤防に人類(笑)を入れて、
波から守る・・・みたいな遊びをしていました。
その時にちょっと横で、こちらも波打ち際ギリギリに何かを作っているお兄ちゃんが、
「一緒に遊ぼう!」と言ってくれたのです。
すごく出来たお兄ちゃんで、息子が作っているものを伝えると、
「じゃあ、こっちは坂にした方がいいな。」とかいいながら精力的に堤防を作成。
息子も久しぶりに子供同士で遊べて、本当に楽しかったようで、
4時間くらい一緒に堤防遊びをしていました。
そのお兄ちゃんのお母さま曰く、「海を見る目つきとか、遊び方とか、すごく似てる」とおっしゃって下さったし、私もこんなにスムーズに遊べているを初めて見たので、
まさに気が合ったのだと思います。
帰り際にそのお兄ちゃんが「連絡先、交換したら?」と言ってくれたので(しっかりしてる!!)、
遠方から来ていた方だったのですが、連絡先を交換して別れたのでした。
で、再び会うことはなかったのですが、
その後、なかなか友達が出来なくて悩んでいた息子になんとなーく変化を感じた私。が、たった1度遊んだだけのことなので、「気のせいかな」と思い、最近は思い出すこともなかったのですが、あれから、1年半くらい経った今でも、あの時の記憶はしっかり息子の胸にあるのですね。
「自分と合うお友達がいる。そのお友達とは沢山遊べて心から楽しかった!」という経験は、あの時の息子の心の支えになったのではないかという気がして、
そして、これからも内弁慶の息子の心を支えてくれるのではないかという気がして、
あの時のお兄ちゃんに本当にお礼を言いたいという気持ちが込み上げてきました。
”ありがとう~~~(涙)”
歯科助手の方と息子のおしゃべりの間に、母は一人感慨に耽ったのでした。
ところで、歯医者に行って息子が口を大きく開けると、
私の口も開くのはどうしてだろう・・・?